ニートという生き方の是非について

(1)ニートの定義について

一般的にニートとは働いていない社会人という意味合いで使われていますが、本来は若年無業者を指していました。

しかし日本政府の定義では「高校や大学などの学校及び予備校もしくは専修学校などに通学していない若者」や「配偶者のいない独身者」、「普段収入を伴う仕事をしていない15歳以上34歳以下の個人」、さらには「非求職型の無業者」と「非希望型の無業者」となっています。

すなわち15歳以上から34歳以下の仕事も通学もしていない人を指しているわけです。
35歳以上になればニートではなく、無職として扱われます。

・・・ニートや引きこもりの末路11の事例!悲惨な結末から考える今後の身の振り方

そんな彼ら彼女らに対する世間の風は冷たいです。
国内のマスコミが一時期大きく取り上げたおかげで普及したものの、同時に「働きたくない」という怠惰なレッテルも貼られてしまいました。

元々自己責任論が強く、働かない者に対して白い目で見がちな日本ではいつしかニートは蔑称として用いられています。
けれど働く意欲がないからニートになっているわけでもないのが実情です。

(2)働こうにも働けない人たちがいるのが現状

現在社会問題になっているブラック企業の影響で心身を壊してしまい、一般的な勤務時間や環境が合わなくなってしまった人たちは頻発しています。
こうなってしまったら社会的な福祉や支援が必要ですが、あまりにも知られていないために支援の求め方が分からなかったり効果が発揮されるまで相応の時間がかかったり等非常に困難な道のりになるのは言うまでもありません。

要するにニートに分類される人たちの中には働こうにも働けない人たちがおり、その人たちのためにもより一層支援のシステムを豊かにしなくてはならないというわけです。

ところが現実問題、支援のシステムが整うまで待つという選択肢は現実的ではないと言えます。
その最大の理由は単純で、待っている間に死んでしまうからです。

たとえ働けない、あるいは働きたくなくても生きていくうえで必要なお金はどんどん使われていきます。
ほとんどの人は実家暮らしで親に生活の面倒をみてもらっていますが、そんな親もいつかはこの世から旅立ってしまうものです。

(3)ネット副業で稼ぐ人が増えている理由とは?

そのため生活費のためにアルバイトやパート、あるいは契約社員など様々な雇用スタイルで世間と関わろうとする人たちがいる一方でインターネットを媒体に生活費を稼ぐ人もいます。

ブログでの広告収入で稼ぐアフィリエイトや記事を書いて稼ぐライティングといったネット副業と呼ばれる方法がそれです。
あらかじめ給料が設けられている雇用とは異なり、自営業のように全ては自分次第なところが強く、また1つの仕事に対する支払いは雀の涙といっても過言ではありません。

それでも利用者が後を絶たない理由はひとえに「社会から距離を置きたい」からだと推測できます。
社会とは安全な生活を保障する反面、残酷で醜い一面があるシステムです。

例えばマスコミは全国各地の事件や災害を報じる一方で、本当に大切な情報提供をすることはなくなりました。
災害後の復興地の現状や領海侵犯、外交問題に経済などは結局権力者によって好きなように選ばれています。

(4)社会への不信感がニートが減少しない理由の1つ

だからこそ2ちゃんねるのような情報掲示板が発展していったわけですが、つまるところ社会への不信感がニートが減少しない理由の1つです。

もっともこのような大袈裟なテーマを持ち出さなくても、彼ら彼女らに対する生き方への理解はもっと深めても良いものだと考えられます。
そもそも言語と思想の自由や人権の守護を謳いながら社会的弱者をいじめるのは何とも矛盾した話です。

戦争と平和、そして革命を繰り返した歴史を持つ人間の最先端にいる者として働かない者に対する是非を徹底的に考え、新しい考え方を作るのは最善と言えます。

問題はいくつもあるものの、彼ら彼女らの誕生が自然である以上、少なくとも受け入れるべきです。